鳥山先生の子供たちへの思いを後世に
3月8日
鳥山明先生の急逝が伝えられました。
それは本当にあまりに突然に。
「Dr.スランプ」から見ていて
「ドラゴンゴール」も単行本を集めてました。
あの頃は、かめはめ波の練習もしたし
本気で呼べば筋斗雲も来ると思っていました。
ファミコンで「ドラクエ」もやったし
ガラケーでもやりました。
一度たりとも全面クリアはできなかったけどね...
急性硬膜下血腫で68歳なんて...
あまりにも早すぎます。
本当に残念でなりません。
今日は、さかえ立佞武多会長より
鳥山先生への熱い想いを頂きましたのでご紹介します。
ここでは鳥山先生の多大なる業績、世界的な影響について語るものではありませんが、“Dr. スランプ”以来リアルタイムで魅了されてきた一ファンとして只々残念な思いです。 さかえ立佞武多がドラゴンボール(孫悟空)の立佞武多を制作・運行することになった2004年…市街地を最大23Mの巨大な人形燈籠が練り歩くようになって7年目、さかえ立佞武多が出陣5年目の夏のことです。 当時観光客数は右肩上がり、参加者数・まつりに対する熱気は絶頂期と云える年でした。 また、この年以降さかえのねぷたを作り続けている小山内圭宵さんにとっては、さかえ立佞武多でのデビュー作となりいろいろと感慨深い1台です。 それから20年を経て三輪小の体育館には今もねぷた運行が終った後に鳥山先生が原画を描いてくださった見送り絵と袖絵が子供たちを見守っています。
当時参加していた子供たちは今25歳から35歳くらい、もう彼らの子供たちがこの絵を目にしている、今後目にしていくことでしょう。 そして絵はもちろんのことですが、ねぷた絵の上に〝希望〟、〝友情〟、〝勇気〟の言葉が添えられています。 私のトシでも口にして子供たちに説くのは気後れするところですが、誰もが大切な、大事なことだとわかっている言葉です。 この言葉は鳥山先生がさかえ立佞武多の、五所川原の子供たちに向けて言葉を三つ選んでくれたものです。
私どもさかえ立佞武多は鳥山先生の子供たちへの思いを過去のものとせず、今の、これからの子供たちに伝え遺していくこが大事と考え今年も元気いっぱいに出陣していく所存です。
2024(令和6)年3月8日 さかえ立佞武多 木村 利哉 |
鳥山先生の訃報の翌日には、ちびまる子ちゃんの声優のTARAKOさんの訃報も飛び込んできました。
共に60代という若さで...
残念という思いはつきませんが
生み出した作品も、命を吹き込んだキャラクターも
これからもずっと息づいていくはずです。
子供の頃の私達を楽しませてくれて
本当にありがとうございました。
心からご冥福をお祈りいたします。